2006年3月10日 (金)

私を救ってくれた先輩のひとこと

フジテレビに入社してもうすぐ一年になろうとするころでした。

研修を終え、画面に出るようになって半年とちょっと、アナウンサーとして未熟な自分に「やばいなぁー、早く一人前にならないと」とアセる日々。


そんなとき深夜のバラエティ番組で、いつも進行のアシスタントをしているタレントの方が2回ほど出られないので、

「トミナガ、ピンチヒッターたのむわ」というご依頼がありました。


バラエティの進行なんて初めてだわ、一緒に司会をしている芸人さんはいっぱいツッこんでくるわ(今田さんです)、
出演者が多くて気も使わなきゃいけないわ、まぁ、要はいわゆる新人アナらしい(笑)しっちゃかめっちゃかなコトに・・。

スタッフは「いやぁ、おもしろかったよ」というものの、アナウンサーとしては全くダメだった私はもちろんヘコみ。


さらに追い討ちをかけるできごとが・・。



その番組にはたくさんのグラビアアイドルの方が出ていて、毎回番組の最後に、選ばれた一人が罰ゲームを受けなきゃいけないという企画が。

この日はできの悪さゆえ、アナウンサーなのに私が選ばれてしまい、罰ゲームの内容は、

最後の5秒間、ゾンビのメイクをしてテレビに映れ、というものでした。

メイクさんに顔を緑色に塗られていきながら「いいんだろうか、アナウンサーとして怒られないのかな」心の中はそればっかり。
深夜だったのでもうアナウンス室に誰もいないだろう、まず落ち着こうと思って下をむいたまま戻ると
「しまった!」人の姿が。


その先輩、川端健嗣アナはひとめ見て、きっとなにかを察したのでしょう、こう言いました。


「トミナガ、大丈夫。きっと誰かが見てくれてるから」。


それ以来、自信がないながらも、とにかく「一生懸命、精一杯」だけはこころがけてきました。


でもそうやって、まだ出会ってない誰かが見てくれてることを信じて続けた結果、
「トミナガをめざましテレビのスポーツコーナーに」、と言ってくれる人が現れました。

朝、精一杯がんばっていたらそれを見ていた別の報道局の方が
「トミナガを夕方のニュースのスポーツコーナーに」。

そこでがんばっていたら
「オリンピックの現地キャスターに」と、
スポーツを担当したい、と願っていた自分の夢がどんどんふくらんでいきました。


だから「人生、なーんかうまくいってないな、最近」っていう時や、「主婦って毎日なにしてんの?」という知人のひとことに落ち込んだ時も、


「だいじょうぶ。きっと誰かがどこかで見てくれてる」。


このひとことが今の私をつくっている、そう思うと先輩にホント感謝!です

Senpai1

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2006年2月11日 (土)

オリンピックの思い出

はじまりましたね トリノオリンピック。

冬季オリンピックのたびに、わたしはある人を思い出します。



それはジャンプの原田雅彦選手。

98年の長野オリンピック、トミナガは寒い中、取材に飛び回ってました(事前取材も含めて1ヶ月近く長野の住民でした)。

ジャンプの団体戦を取材に行ったあの日、白馬は吹雪。寒かった。
でも日本チームの「やってくれそうな予感」にみんな寒さも忘れて取材取材。

そんな中、ディレクターが「原田選手のお兄さんがいるらしいから」というので、観客席の人ごみを、「あ、トミナガだ」などと言われながらもかきわけかきわけ(今思うとちょっとメイワクよね)、お兄さんを探し出し取材をさせていただいたのです。

原田選手は一本目の記録が伸びず、チームのブレーキとなってしまっていました。
そんな逆境の中、2本目で大ジャンプ、金メダルに大きく貢献したのでした。

優勝が決まり、男泣きしている原田選手におめでとうの意味をこめてひとこと、「お兄さんが、自慢の弟だって言ってましたよ」。

すると原田選手は涙でグシャグシャの顔で私を見て、こう言いました。



「そんなに泣かすなよぉぉぉ」。

けっこうテレビでも流れてたので聞いたことある方もいるかなぁ。
うれしさがストレートに伝わってくる、
魔法の一言でした。

37歳の原田選手はノーマルヒルという種目限定ながら、今回も出場するとのこと。

がんばってほしいなぁ。

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